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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 機 : [き, はた] (n) loom
オデッセイ(Odyssey)とはラルフ・ベアが開発し、マグナボックス社(Magnavox)から1972年に発売された世界初の家庭用ゲーム機である。 == 概要 == ドイツ生まれのユダヤ人のベアは、ナチスのユダヤ人迫害が激しくなったためアメリカに亡命、後述のゲーム機「ブラウンボックス」を作った時はサンダース・アソシエイツ社で飛行機のレーダーに関する仕事をしていた。なお戦後すぐの1946年にはオシロスコープを使いピンポンやテニスの様なミニゲームで遊んでいたと語っており、ビデオゲームに類するものとしては現在確認出来る中で最古とする見方もある。 ベアは思いついた事は全てメモをとる癖があり、1966年8月にバス停で書かれたメモには「テレビで見たくもない番組に対応するにはどうしたらいいか。テレビをゲームに使えばよい」とあり、ここからゲーム作りが始まった。テレビ技術を勉強済だった事からゲーム機作りは順調に進み、「キツネと犬」「ピンポン」など数種類のゲームが遊べる「ブラウンボックス」を作って会社に売り込んだ。ブラウンボックスは茶色い箱で箱の横にゲームの切り替えに使うスイッチがゲームの数だけ並んでおり、上部にはベアのサインが入っている。 だがこの頃、不特定多数に遊ばれていたビデオゲームは『スペースウォー!』だけだった事もあって企業幹部からの反応は著しくなかった。そのためモデルガンを改造した『光線銃ゲーム』など幾つかのゲームを追加、売り込みを続けた。その結果、実に5年もたった1971年に興味を示したマグナボックスの副社長の働きで製品化が決定、翌1972年から全米にオデッセイの名で売り出す事にした。オデッセイとは映画『2001年宇宙の旅』の固有名詞からとられたものである。 オデッセイは発売前の1971年からアメリカ各地でプライベートショーを行い、業界関係者に見てもらう事にした。宣伝にはフランク・シナトラまで起用された。オデッセイがマグナボックスにライセンス供与される事で一時的にサンダース・アソシオエーツ社も収益を上げた。しかし、当時の宣伝内容、および人々が家庭用ゲーム機について全く知らなかった事が理由で「マグナボックス社のテレビでなければ遊べない」と思われてしまった。そのため、失敗しない程に売れたもののヒットにまでは行かず、1974年には生産を終了した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オデッセイ (ゲーム機)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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